東京高等裁判所 昭和55年(う)2312号 判決 1981年9月25日
被告人 千住一彦
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役一年及び罰金四〇〇〇万円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金八万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
この裁判の確定した日から五年間右懲役刑の執行を猶予する。
原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
本件各訴訟の趣意は、検察官川島興作成名義の控訴趣意書及び弁護人浅見敏夫作成名義の控訴趣意書に、弁護人の控訴趣意に対する答弁は、検察官河野博作成名義の答弁書(但し、第三の結論部分は「以上述べたとおり、控訴趣意として述べられた論旨は、換刑処分に関する法令適用の誤りの点を除き、いずれも理由がなく失当であるので換刑処分の点に限つて原判決を破棄するのが相当であると思料する。」と訂正された。)にそれぞれ記載されたとおりであるから、これを引用する。
弁護人の控訴趣意第二について
所論は、要するに、被告人は、株式の取引を事業として行い、昭和五一年には一六四回にわたり六七八万株余りに及ぶ株式の売買をして四四三四万円余りの損失を出し、昭和五二年には二一八回にわたり四九八万株余りに及ぶ株式の売買をして八七七万円余りの損失を出し、昭和五三年には四六三回にわたり一一五三万株余りに及ぶ株式の売買をして五九七一万円余りの利益をあげたのであるが、原判決が、被告人のした右株式の取引は事業にはあたらないと判断し、昭和五三年の取引からあがつた利益を雑所得として同年分の総所得金額及び所得税額計算の基礎としたのみで、昭和五一年及び昭和五二年に生じた各損失について、これを右各年分の他の所得の金額から控除する損益通算を行わず、その分右各年分にかかる原判示第一及び第二の所得金額及び所得税額を過大に認定したのは、事実を誤認したものであるというのである。
そこで、検討してみるのに、関係証拠によれば、被告人が信用取引を中心に現物取引を併用する形で所論のような株式の取引をして、所論のように、昭和五一年及び昭和五二年には損失を出し、昭和五三年には利益をあげたことが認められる。ところで、右株式の取引による損失及び利益が所得税法上事業から生じたものといえるか否かは、右株式の取引が同法二七条一項を受けた同法施行令六三条一二号にいう「対価を得て継続的に行なう事業」に該当するか否かに帰着するわけであるが、株式の取引がこれに該当すると認められるためには、当該株式の取引が営利を目的として反覆継続して行われることを要するほか、社会通念上事業と認められるような形態及び実質を具備していることが必要であると解される。そこで、このような観点から本件株式の取引をみてみるのに、被告人の株式取引の意図、株式売買の回数、売買した株式の数量・金額、取引期間等に徴すれば、本件株式の取引が営利を目的として反覆継続して行われたものであることは肯定することができるのであるが、その取引が、被告人の営む土木建設用消耗資材等の販売業により蓄積した資産の投機的な運用方法として始められ、単に証券会社の顧客として閉鎖的に行われたもので、特にそのための人的組織や物的施設を備えたということもなく、いつでも自由かつ簡単に取引を終了させることも可能であつたこと等に徴すると、本件株式の取引は、所論指摘の諸点を考慮に入れても、社会通念上事業と認められるだけの形態及び実質を有しているものとは認め難い。してみれば、原判決が、被告人の行つた本件株式の取引は所得税法上の事業には該当しないと判断し、昭和五一年及び昭和五二年中の株式の取引から発生した損失について他の所得との損益通算を行わなかつたのは結論において正当であり、所論のような事実の誤認があるとは認められない。論旨は理由がない。
弁護人の控訴趣意第三について
所論は、要するに、被告人は、その営む土木建設用消耗資材等の販売業において、外交販売員らがとりつけてきた販売の予約を手数料名義の対価を支払つて譲り受け、これをもとに先方と交渉して本契約に持ち込むという販売方法をとつていたのであるが、右手数料の正確な会計処理の方法としては、費用収益対応の原則に従い、手数料支払い時仮払い、本契約成立時費用とすべきであるにもかかわらず、原判決は、手数料支払い時に費用として計上しているが、このような方法で算出された必要経費及び所得は不正確なものであり、各年分の所得金額が証明されたとはいえないから、原判決が右方法で算出された金額を被告人の所得として認定したのは、原判示第一から第三までの各所得金額について事実を誤認したものであるというのである。
そこで、検討してみるのに、原判決は、その説示からも明らかなように、外交販売員に支払つた手数料の会計処理については、手数料の支払いと販売予約の成約状況との関係がはなはだ複雑であるうえに、その関係の資料も十分でなく、所論のような方法によることが実際上極めて困難であつたため、次善の策として原判示のような方法によつて費用の実額を推認したものとみることができるのである。したがつて、その方法が会計処理の原則に従つたものとはいえないとしても、右方法によつて算出された費用の額が所論のような会計処理の原則に従つた場合の費用の実額を下回ることがなく、収入の額から右方法によつて算出された費用の額を控除することによつて得られる所得の額が所得の実額を上回ることがないならば、右方法は、被告人の所得の額を控えめに推認するものであつて、その認定方法として相当なものということができるのである。そこで、このような観点から原判決の行つた方法を吟味すると、原判決も指摘するように、関係証拠によれば、被告人の支払つた手数料の額及び売上高は年を追つて増加していることが認められるところ、これによれば、前年以前に支払われ当年の費用となつた手数料の額と当年に支払われ翌年以降に繰り越される手数料の額とを比較すると、後者の方が前者よりも多いことが推認されるから原判決が、支払い手数料について所論のような振り分け処理を行わず、各年中に支払われた手数料の額を全額その年の費用として計上したのは、被告人の事業上の必要経費をその実額以上に計算し、その結果として、被告人の所得を被告人に有利に控えめに認定したものとして相当な措置ということができるから、原判決に所論のような事実の誤認があるとは認められない。論旨は理由がない。
検察官の控訴趣意及び弁護人の控訴趣意第一について
各所論はいずれも、要するに、原判決が、被告人に対する罰金四〇〇〇万円の刑に関し、その換刑処分とし二年を超える期間を労役場留置の期間として定めたのは、法令の適用を誤つたものであるというのである。
そこで、検討してみるのに、原判決は、判示各所得税法違反の罪について、それぞれ懲役刑及び罰金刑を併科することとしたうえ、刑法四五条前段の併合罪である右各罪の罰金について、同法四八条二項により右各罪の罰金を合算し、その金額の範囲内で被告人を罰金四〇〇〇万円に処し、同法一八条によりその換刑処分として五万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、労役場留置期間二年二か月余りとなるように定めたことが明らかである。ところで、刑法一八条三項によれば、罰金を併科した場合においては、三年以下の期間労役場に留置することができる旨明定されているけれども、右条項にいわゆる罰金の併科というのは、併合罪でありながら同法四八条二項の適用がないため数個の罰金刑を科する場合及び確定裁判の介在により併合罪関係がないため各罪ごとに数個の罰金刑を科する場合を指称するものと解されるから、本件は同法一八条三項の「罰金ヲ併科シタル場合」には該当しないことが明らかである。そうだとすると、本件において、被告人に対して言い渡し可能な労役場留置の期間は、同法一八条一項により二年以下であり、換刑処分の換算率もそのように定めなければならないのに、原判決が被告人を前記のような換刑処分に処したのは、法令の適用を誤つたものであり、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨はいずれも理由がある。
してみると、原判決は、弁護人の控訴趣意第四(量刑不当を主張する論旨)に対する判断を待つまでもなく失当として破棄を免れないから、刑訴法三九七条一項、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い本件被告事件について更に次のとおり判決をする。
原判決の認定した罪となるべき各事実は、いずれも行為時においては昭和五六年法律第五四号脱税に係る罰則の整備等を図るための国税関係法律の一部を改正する法律による改正前の所得税法二三八条一項に、裁判時においては改正後の所得税法二三八条一項にそれぞれ該当するところ、犯罪後の法律により刑の変更があつたときにあたるから、刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑によることとし、原判決と同様に処断した刑期及び金額の範囲内で処断することとする。そこで、弁護人の控訴趣意第四の論旨に鑑み、犯情について検討してみるのに、本件は、土木建設消耗資材等の販売業を営む被告人が、右営業や株式の売買による所得が昭和五一年から昭和五三年までの三年間に合計二億八九三二万円余りもあつたのに、欠損申告又は所得控除後の課税総所得額が零である旨の過少申告をすることによつて合計一億七一一八万円余りの所得税を免れたという事案であつて、免れた所得税の額が高額で、逋脱率も一〇〇パーセントであり、脱税の期間も本件で審判の対象となつている三年間にとどまらないこと等に徴すると、犯情はまことに悪質であるといわなければならない。しかし、他方、被告人は、昭和五一年及び昭和五二年には株式の売買により合わせて約五三〇〇万円の損益通算の対象とならない損失をこうむつていること、被告人が脱税で調査を受けたり、裁判を受けたりするのは今回が初めてであること、被告人が反省し、右事業を法人化するとともに、経理を明朗化し、再過なきを期していること、本件脱税にかかる本税、重加算税等の未納分について担保を提供し、完納を約していること、その他被告人は重症の肺結核及び水腎症の病歴を有し、通常の健康体ではないこと等被告人のために酌むべき事情も認められる。そこで、これらの諸点を総合考量したうえで、被告人を懲役一年及び罰金四〇〇〇万円に処し、刑法一八条により右罰金を完納することができないときは、金八万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、前叙の情状に鑑み刑法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から五年間右懲役刑の執行を猶予し、原審及び当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文を適用して全部これを被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。
(裁判官 堀江一夫 杉山英巳 浜井一夫)